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ボヘミアで愛を歌うクイーンとワタシ

by コウジアナーダ

原題:木星と女王陛下とワタシ

ファルーク・バルサラという人をご存じだろうか。

ファルークとして生まれ、多くの人に愛され、影響を与えたフレディ・マーキュリーとして没した。

もちろんほとんどの方がご存知だろう。世界規模で有名なバンド「QUEEN」のヴォーカリストだ。

出生に悩み、家族に悩み、セクシュアリティに悩み、あり方に悩み、孤独に悩み続け生涯を過ごした男だ。

2018年も終わりかけの今、まさに彼の生きてきた道、いわばQUEEN’s roadについて克明に描かれた映画「ボヘミアン・ラプソディ」が空前の大ヒットを記録している。

ワタシのまわりで見たという人は誰もが高評価。年齢や性別を問わず。

割と世間一般のみなさまと同じ感性を持つ普通凡人のワタシ、ハズレがないことは明白だが、その上で見に行く機会を伺っていた。

そしてとうとう先日、2時間13分間に詰め込まれたフレディ・マーキュリーの生涯を体験してきた次第だ。

というわけで今日はこのボヘミアンラプソディを、ネタバレ成分12%程度でお送りしようと思う。

ボヘミアン・ラプソディ

そもそもこの「ボヘミアン・ラプソディ」というタイトルだが、これは彼が生涯を過ごすバンドQUEENの曲名だ。

この曲はQUEENのたくさんの曲の中でも特に有名な1曲であり、同時にこの映画の終盤、実に20分以上もの時間を割いて再現される20世紀最大のチャリティーコンサート、LIVE AIDにてQUEENが1曲目に選んだ曲でもある。

おそらく日本ではワタシも知っていたWe will rock you やWe are the champions、Don’t Stop Me Nowなどの方が知名度が高いだろうと思う。これらはCMやTVなどでよく聞く曲だ。曲名がわからずとも聞けばわかる人も多いだろう。

ちなみにワタシは恥ずかしながら、このボヘミアン・ラプソディという曲を、映画公開後に知った。

そして、タイトルがこれほどしっくりくる映画は多くはないと感じた。この映画のタイトルは「ボヘミアン・ラプソディ」以外成立しない。

ータイトルについて

まずはタイトルから考察してみよう。

「ボヘミアン」これはさすがに知力に乏しいワタシでもわかる。

ボヘミアニズム、自由に生きたいように生きる人たちの総称、それがボヘミア〜ンだ。

しかし「ラプソディ」は・・・なんだっけ?音楽の授業で習った気もするが、思い出せない・・・

と、いうことは、コトバンク女王だ。

“「 狂詩曲 」と訳される。幻想曲風で自由な形式の19世紀の器楽曲 ”

引用元:コトバンク

とある。狂詩曲とはなかなかにクレイジーでスパイシーな言葉だ。しかし器楽曲とは。。。

「器楽曲」とは器楽演奏のための曲のことを差す。声楽曲の対義語、インストゥルメンタル、つまり歌のない曲だそうだ。

楽器のみで演奏されるものを指すわけだが、当然ながらボヘミアンラプソディにはマーキュリーの伸びやかな歌声が入っている。曲のタイトルとして、すでに矛盾が存在しているのだ。

これは作成者であるマーキュリーの遊び心だったのだろうか。答えは出ない。

ー構成について

この曲はアカペラで始まり、バラード、オペラ、ハードロック、そしてバラードへと回帰するという、なんとも不思議なものだ。初出は1975年だが、おそらく当時の人々は面食らっただろう。

曲として、まことにわけがわからない状態なのだ。

校正だけでも不可思議なのに、ガリレオ、ガリレオとまるで呪文のような謎の歌詞、メンバー全員の声をテープがすり切れる直前まで重ね録りし続けたオペラパートなど。

こんな曲はなかなかない。

ー曲長について

さらにこの曲は約6分ある。

今では6分の曲は珍しくないが、当時はラジオでどれだけ曲をかけてもらえるかがセールスに大きく影響するにも関わらず、3分を超える長い曲などラジオで流してくれない!とても受け入れられない!とレーベルからシングルカットNGを突きつけられる。

しかし同じことをやりたくない、売れるために当たり前のことをしたくない!とこの曲をバンドとして売り出すよう求める。

詳しくは割愛するが、このあたりは非常に痛快なアメリカンムービー、といった趣だった。

ーこの曲である意味

この映画はボヘミアン・ラプソディという曲を、マーキュリーの45歳という惜しむべき短さの人生に見立てて表現したのだとワタシは感じた。

  1. 何もなかった内気だが自信にあふれたバンド加入以前の青年は楽器のないアカペラと重なり合い

  2. QUEENが徐々に盛り上がる様はバラード模様

  3. バンドとして新たなことに挑み続ける様はまるでオペラのようで

  4. 様々な葛藤を抱え衝突や破滅の姿がハードロックそのもの

  5. そして没するまでの収束は再びバラードに仕立て

QUEENとマーキュリーの人生を表現し映画にするには、この曲しかなかったのだ。

そこに生きているかのような

劇中ずっと、フレディという名前がまるでアフレイド(afraid・恐れ)から来てるんじゃないかというくらい何かに対する恐怖が尽きないマーキュリーが表現されていた。

本当の彼は知らない。が、おそらくそうだったのではないか、と思わせる映画だった。これはマーキュリーを演じた俳優ラミ・マレックの力も大きいと思う。

存命中のフレディの映像を見ても、顔や体つきは

しかし、彼はフレディ・マーキュリーだった。

重ねていうが、ワタシはマーキュリーが存命中に彼自身の存在を性格に認識したことはない。

ないのだが、ラミの演じるマーキュリーは

「きっとフレディ・マーキュリーはこういう人だった」

と感じさせるものばかりだった。

そういえば過去に「ダークナイト(バットマン)」でジョーカーを演じたヒース・レジャーを見たときも同様に感じた覚えがある。狂気の道化ジョーカー、名優ヒース・レジャー。ダークナイトも是非見てほしい映画の一つだ。

まとめ

LIVEではなく、シングルとして発表されたボヘミアン・ラプソディはこんな歌い出しで始まる。

“Is this the real life-

Is this jus fantasy-“

引用元:Bohemian Rhapsody 〜QUEEN〜

これは現実の人生か?それとも幻想なのか?

29歳の絶頂期の時点で書いた曲の始まりがこうなのだ。

思うにずっと破滅と孤独を感じていたのだろう。

バンドメンバー、恋人、母、妹、そして厳格な父。

きっと誰も自分のことを許していない、認めていないと感じていたのではないだろうか。

ーMama

この曲の歌詞には「mama」への呼びかけが存在する。

LIVE AIDのシーンで「mama 〜♪」と流れた瞬間、ワタシの嗚咽が漏れかけた。

というか多分漏れた。いや、間違いなく漏れた。

父とは異なり、たえず自身を愛してくれた母を呼ぶ声。

けれど、もしかしたらmamaは、ママだけに向かうものではなかったのかもしれない。

ーフレディ・マーキュリー

内気で気弱な音楽好きのやや出っ歯の青年は、自身の想像をおそらくは上回る速度でチャートボードを駆け上がり、傲慢に過ごし、貪欲に性を追いかけた。自身のセクシュアリティに気づいてからはより奔放に、それが元となった病で亡くなってしまうほどに貪欲に求めた。

ファルークはフレディに改め、ついにはファミリーネームのバルサラもマーキュリーに変えた。

自身の過去を捨て、本当の自分を探し、追い求めた。

しかし追えど求めれど、欲しいものは手に入らない。おそらく人生はほぼそうだ。

成功したからとて例外は少ないだろう。

映画もWikipediaも、彼の人生の終わりが孤独ではなかったことを教えてくれた。

それは救いだったのかはわからないが、少なくとも求めた「家族」がそばにいたのだろうと思う。

ー映画として

フレディ・マーキュリーの伝記映画、ヒューマンドラマなのだが、この映画は「ボヘミアン・ラプソディです。」というのが一番しっくりくる。

生涯ボヘミアンとして生きたマーキュリーの狂詩曲なのだ。

時計を身につけていないワタシは映画館内では時間を知るすべはないが、おそらく中盤以降、1時間半ごろから後はずっと涙が止まらなかった。

バンドメンバーにAIDSを告白した時から後は、ずっと涙が流れていた。

誰もが泣ける映画かどうかはわからない。ワタシは涙腺が緩い方の人間だから、もしかするとそんなに涙を流すのはおかしい、という人もいるかもしれない。

しかし、事実1時間近く私の両目は涙を止めなかった。

マーキュリーとは水星のことだ。

そしてこの語源はローマ神話のメルクリウスから来ている。ギリシャ神話のヘルメスにあたる。

メルクリウス(ヘルメス)は翼の生えた靴を履いて、 風よりも早く走り、 手には使者の役を示す杖を持っている。 神々の中でも最も頭が鋭く、 ずる賢く、 すばしっこい神だそうである。

フレディは男性名フレデリックから来ていると思われるが、マーキュリーの理由ははっきりしないそうだ。

何を願ってマーキュリーという姓を使ったのかはわからないが、使者の杖がわりのマイクスタンドを持ち動き回る姿は彼の望むメルクリウスだったのだろうか。

何度も繰り返し見る人が多いというのもうなずける映画だった。

見るならば、できるだけ音響の優れた映画館で見ることをおすすめする。

そして、ハンカチを持って行くことも。

幸い、まだまだ人気の映画だ。まわりにいる人たちもおそらく泣いている。

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